問題の本質~ホメオパシーと教育~

ホメオパシーは 症状の総体に対して処方する。では症状の総体とは何だろう。ホメオパシーを既に少しかじっている人も、そうでない人も考えて欲しいのだが、、、症状の総体とは、心の症状と体の症状(体の局所症状と全体症状)、悪化好転要因であり、その人の存在をトータルでみて、そのトータルに対して処方する。ただし、トータルで判断するというのは、ある意味で、成功してきた企業体も国家も、教育も、占星術も行ってきたことでホメオパシーだけに限った事ではない。

逆に小手先だけでどうにかしようと思って、生き続けているものは有史以来1つもない。同様にたとえレメディを用いたとしても、ミクロな視点だけでは問題は解決するどころかこじれてしまう。

教育の問題も同じくで、実際日本の歴史上奈良時代から現在まで続いている教育スタイルなど、何も存在していない。あるのは教育学者たちの教育哲学のみであり、小手先のやり方は変化し続けている。昭和時代以降は学歴偏重社会(もはや崩れつつはあるが)で育成されて来た僅か50年くらいの大人の尺度に合わせて、子供たちの創造性は早期に刈り取られ、早くから文字や数字を叩き込まれ、それが叶わない子どもは「発達障害」とされ、そのために、発達障害の子供の数は年々着実に増加している。

もちろん、発達障害ということの陰には、過剰な薬の濫用、予防接種の問題もあるが、それ以上に「没個性化」を押し進める社会的背景が作り出している事は否めない。教育者の育成よりも先に偏差値導入が進んだツケである。

教育とは、そもそもその子の可能性を見つけ開いていく事であると私は思うが、例えば、教育学者ルソーは

「すべてのものは、造物主の手から出たときは善であるが、人間の手の中では悪になる」(エミール)

と述べ、時期を考えないやみくもな教育によって子供がダメになってしまうと警鐘を鳴らしている。幼稚園の創設者フレーベルの教育観も「早期詰め込み教育」を目指すものでは決してない。

しかし、教育もホメオパシーも

「すべてのものは、造物主の手から出たときは善であるが、人間の手の中では悪になる」

のである。。。。

その問題がなぜ起こっているのか、問題のトータルを考え、さらにそれに応じた対応ができなければ、ホメオパスでも教育者でもない。その人にとって必要なのはレメディか?早期教育なのか、発達診断テストなのか、特殊学級なのか?

どんな手段も使う側に全体を見通す眼力がなければ、人間存在をダメにする。またどんな手段を使おうとも、何が本当の問題かをとらえ、解決する努力を惜しまない人が使えば効果はある。